year | 主な出来事 |
460-375BC | ヒポクラテス 迷信を排除し宗教から医学を独立させ、医学を集大成した。その記述の中には肺労に関する物もある。 (頻繁な悪寒、持続的な高熱、時ならぬ大量の汗(冷や汗)下痢、不良性の尿、悪性の体力消耗)。 胸の音による診断。患者の容体をその顔色、肌のつや、におい、脈拍、言語など観察によって判断。 治療は自然治癒力に頼るが、温罨法、穿刺、日光浴、転地療法、山羊の乳など。 また四体液生理学説(血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁)をとなえる。肺労は遺伝性と考えていた。 |
436-338BC | イソクラテス 肺労は伝染性と考えていた。 |
384-322BC | アリストテレス 肺労患者の息に有害な物が含まれていて、他の人にあたると同じ肺労になりやすいと説いた。(伝染説の萌芽) |
30BC-45AD | ケルスス 肺労は脳に発生し肺まで降りてくるとした。転地療法としての航海と栄養療法 |
23-79 | 23-79 プリニウス エジプトへの海上航行を奨励。木から発散される物質が良好。 |
130-200 | 130-200 ガレノス 肺労が伝染するとした。天候の穏やかな海浜での規則正しい生活と休息、牛乳飲用を中心とした栄養療法。 |
1493-1541 | スイスのパラケルスス ガレノスの呪縛から逃れることを説いた。瀉血の中止を訴えた。 |
1543 | ヴェサリウス 『人体解剖図』ガレノスの間違いを訂正。 |
1546 | ジロラーモ・フラカストロ 「病芽」という考え方(伝染する元)を示した |
1497-1558 | フェルネル 死後の解剖検死をし、肺病によって肺に生じた空洞の記述をした。 |
1614-72 | シルヴィウス 初めて「結節」(tubercle)という用語を用いて肺病患者の肺にしばしば結節が見られることを述べた |
1637-98 | ロンドン リチャード・モートン 『肺労学』を記す。咳、微熱、盗汗などの症状とともに石灰化した肺についての解剖所見を記す。規則正しい生活、適度な運動、温暖で清浄な空気の元での生活。新郎や憂鬱をさける事を説いた。 |
1699 | イタリア ルッカ共和国 肺病強制届け出制度 |
1704-82 | 英国 ベンジャミン・マーティン 肺病の原因を極小動物とした。 |
1751 | スペイン フェルナンド6世 法令にて肺病患者や伝染性の病気で死んだ人の衣服、家具、持ち物の焼却処分を命じた |
1761 | オーストラリア人 レオポルド・フォン・アウエンブルガー 『胸部打診により今日部内の病気を察知する新方法』 |
1774 | 僧侶 バークレー タール水を発表。 |
1782 | ナポリ王国 フィリップ4世 肺病強制届け出制度 |
1819 | フランス人 ルネ・ラエネック 『間接聴診法の序論および胸部検査法』で聴診器の原型を発表。 |
1811-80 | ウイリアム・バッド 胚種(germ)が結核の伝染に関わっているとして、細菌学説(germ theory)の名称を先駆けした。 |
1830 | ドゥ・タンクレル 肺病に関する論文でジキタリスとトリカブトを推奨 |
1838 | シュライデン 植物細胞の発見。 |
1839 | シュヴァン 動物細胞の発見。 |
1840 | 英国 ジョージ・ボディントン 『肺病の治療と回復についての考察』で大気療法、滋養豊富な食事の提案をした。 |
1859 | ドイツ ブレーマー 最初の肺病専門サナトリウムを開設。 |
1861 | パスツール 微生物と発酵、腐敗との関係、微生物と疾患との関係を明らかにした。 |
1865 | フランス ジャン・アントワーヌ・ヴィルマン 結核菌の同定に成功。 |
1872 | アッベ 特殊集光機の発明(顕微鏡の倍率が800倍になった) |
1876 | ヴァイゲルト 微生物染色法を始める |
1882 | ドイツ コッホが結核菌を発見 |
1890 | コッホ 結核菌を無害化した「ツベルクリン」を治療薬として発表 |
1894 | 英国で初めて大気療法を試みたサナトリウム 王立ビクトリア病院開設。 |
1906 | ピルケー ツベルクリンを使ったツベルクリン反応(結核感染の診断方法) |
1944 | アメリカ ワクスマン 抗生物質ストレプトマイシンを発見。 |