キーツと結核

キーツは結核のため25歳という若さで夭折しました。
当時は結核は不治の病でした。
当時の医学の知識と常識。治療方法などが知りたいと思い、調べてみました。



*当時の結核治療。

下記の結核年表にまとめたように、結核は昔から認識されていましたが、1944年にストレプトマイシンが作られるまで、不治の病でした。キーツの時代にはまだ結核の原因はまったく分かっておらず、湿った空気が病気の原因とされていました。また空気で感染することすら分かっていませんでした。結核患者の家族が全員死んでしまうわけではなく、かからない人もいたので(これはある種の免疫が出来たためと思われますが)空気感染を信じない医者も多くいたのです。
当時の治療方法は体の成分のバランスを整えるため、という中世以来の治療法、瀉血と食事制限が中心でした。瀉血とはメスまたはヒルを使って体から血を抜くことです。この治療は外科医Surgeonまたは薬剤師apothecary(キーツが免許を持っていた資格です)が行いました。食事制限は体を弱らせることによって、病気も弱らせるという考え方から来ていました。これらの治療の様子はキーツの手紙からもよく分かります。


*キーツの手紙に見られる結核についての記述

手紙からの引用

*キーツの結核に関する年表

キーツの生涯のうち結核に関係した事とそのほか主な出来事を年表にしました

*結核年表
下記




結核年表

参考文献 
福田眞人 『結核の文化史』名古屋大学出版会、1995年
  福田眞人 『結核という文化:病の比較文化史』中公新書1615、中央公論新社、2001年
酒井シヅ 『医学史への誘い:医療の原点から現代まで』診療新社、2000年



year主な出来事
460-375BC ヒポクラテス 迷信を排除し宗教から医学を独立させ、医学を集大成した。その記述の中には肺労に関する物もある。
(頻繁な悪寒、持続的な高熱、時ならぬ大量の汗(冷や汗)下痢、不良性の尿、悪性の体力消耗)。
胸の音による診断。患者の容体をその顔色、肌のつや、におい、脈拍、言語など観察によって判断。
治療は自然治癒力に頼るが、温罨法、穿刺、日光浴、転地療法、山羊の乳など。
また四体液生理学説(血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁)をとなえる。肺労は遺伝性と考えていた。
436-338BC イソクラテス 肺労は伝染性と考えていた。
384-322BC アリストテレス 肺労患者の息に有害な物が含まれていて、他の人にあたると同じ肺労になりやすいと説いた。(伝染説の萌芽)
30BC-45AD ケルスス 肺労は脳に発生し肺まで降りてくるとした。転地療法としての航海と栄養療法
23-79 23-79 プリニウス エジプトへの海上航行を奨励。木から発散される物質が良好。
130-200 130-200 ガレノス 肺労が伝染するとした。天候の穏やかな海浜での規則正しい生活と休息、牛乳飲用を中心とした栄養療法。
1493-1541 スイスのパラケルスス ガレノスの呪縛から逃れることを説いた。瀉血の中止を訴えた。
1543 ヴェサリウス 『人体解剖図』ガレノスの間違いを訂正。
1546 ジロラーモ・フラカストロ 「病芽」という考え方(伝染する元)を示した
1497-1558 フェルネル 死後の解剖検死をし、肺病によって肺に生じた空洞の記述をした。
1614-72 シルヴィウス 初めて「結節」(tubercle)という用語を用いて肺病患者の肺にしばしば結節が見られることを述べた
1637-98 ロンドン リチャード・モートン 『肺労学』を記す。咳、微熱、盗汗などの症状とともに石灰化した肺についての解剖所見を記す。規則正しい生活、適度な運動、温暖で清浄な空気の元での生活。新郎や憂鬱をさける事を説いた。
1699 イタリア ルッカ共和国 肺病強制届け出制度
1704-82 英国 ベンジャミン・マーティン 肺病の原因を極小動物とした。
1751 スペイン フェルナンド6世 法令にて肺病患者や伝染性の病気で死んだ人の衣服、家具、持ち物の焼却処分を命じた
1761 オーストラリア人 レオポルド・フォン・アウエンブルガー 『胸部打診により今日部内の病気を察知する新方法』
1774 僧侶 バークレー タール水を発表。
1782 ナポリ王国 フィリップ4世 肺病強制届け出制度
1819 フランス人 ルネ・ラエネック 『間接聴診法の序論および胸部検査法』で聴診器の原型を発表。
1811-80 ウイリアム・バッド 胚種(germ)が結核の伝染に関わっているとして、細菌学説(germ theory)の名称を先駆けした。
1830 ドゥ・タンクレル 肺病に関する論文でジキタリスとトリカブトを推奨
1838 シュライデン 植物細胞の発見。
1839 シュヴァン 動物細胞の発見。
1840 英国 ジョージ・ボディントン 『肺病の治療と回復についての考察』で大気療法、滋養豊富な食事の提案をした。
1859 ドイツ ブレーマー 最初の肺病専門サナトリウムを開設。
1861 パスツール 微生物と発酵、腐敗との関係、微生物と疾患との関係を明らかにした。
1865 フランス ジャン・アントワーヌ・ヴィルマン 結核菌の同定に成功。
1872 アッベ 特殊集光機の発明(顕微鏡の倍率が800倍になった)
1876 ヴァイゲルト 微生物染色法を始める
1882 ドイツ コッホが結核菌を発見
1890 コッホ 結核菌を無害化した「ツベルクリン」を治療薬として発表
1894 英国で初めて大気療法を試みたサナトリウム 王立ビクトリア病院開設。
1906 ピルケー ツベルクリンを使ったツベルクリン反応(結核感染の診断方法)
1944 アメリカ ワクスマン 抗生物質ストレプトマイシンを発見。


<yuka@ruri.waseda.jp>

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