year | 主な出来事 | year | 郵便の歴史 |
1509年 | ヘンリー8世即位 | ||
1516年 | ヘンリー8世がSir Brian Tuke,(?- 154)ブラインアン・ティークをMaister of the Postes (Master of the Posts)駅逓頭に任命。本格的なイギリス郵便の歴史の始まり。主な幹線道路に20キロメートル毎に宿駅を作り、駅逓路線をつくった。多くの場合宿駅にはすでにある旅館が使われた。 「スルー・ポスト」一人の使者が書簡を目的地まで宿駅で馬や案内人を変えながら運ぶ。 「スタンディング・ポスト」書簡のみが宿駅毎に引き継がれて行く。 | ||
1547年 | エドワード6世即位。 | ||
1553年 | メアリ1世即位。 | ||
1558年 | エリザベス1世即位。 | ||
1603年 | ジェームス1世即位。 | ||
1620年 | 商人サムエル・ジューデュ(Samuel Jude)民営による駅逓路線をロンドン・プリマス間に開設。民間が駅逓事業に進出したことの一例。 | ||
1625年 | チャールズ1世即位。 | ||
1635年 | 7月31日Royal Postが民間人にも開放(財源確保のため)。料金の設定。(紙の枚数、重さ、距離)駅逓事業からの民営業者の締め出し。(民営の駅逓事業は完全には取り締まりきれなかった) | ||
1642年 | 清教徒革命。 | ||
1649年 | チャールズ1世処刑。共和制始まる。 | ||
1653年 | 政府は駅逓事情を民間に請け負わせる方式に変換する。無料郵便制度(Franking Privilege) 政府高官や国会議員は郵便を無料で送れる制度)の発生。 | ||
1654年 | 官営の郵便料金値下げ。(民間の事業に対抗するため) | ||
1657年 | 最初の郵便法制定。An Act for the Setling of the Postage of England, Scotland and Ireland. | ||
1660年 | 王政復古。チャールズ2世即位。 | 1660年 | 王政復古に伴い、新郵便法制定。Post Office Charter 無料郵便制度に関する規定が削除。(ただし不文律として生き続ける)。郵便事業からの利益は国王の自由裁量となる。 この当時の組織 「国内郵便総局」Inland Office 「外国郵便総局」Foreign Office |
1661年 | ビショップ日付印が考案される。郵便物の送達速度の向上。1787年まで使用される。 | ||
1666年 | ロンドン大火。 | ||
1677年 | 請負制度の廃止。(郵便事業の利益の独占と諜報機関としての役割を考慮したためだろう) | ||
1680年 | ウイリアム・ドクラ(William Dockwra)、ロンドン市内において、ペニー郵便事業を始める。重さ1ポンド以下、価格10ポンドまで。市街地では宅配。郊外では郵便区分室の窓口受け取り。前納 1ポンド。郊外では追加料金1ポンドで宅配してくれる。地方便を国内郵便総局に届ける役目も果たす。書状引き受け所はコーヒーハウス、宿屋、商店等に委託(市内に179)。午前8時から午後8時まで営業し、一時間毎に郵便を配達。三角形の料金収納印が使用された。一年目は赤字だったが、2年目に累積赤字解消。軌道に乗る。 | ||
1682年 | 11月ペニー郵便が国有化される。Inland Office, Foreign Office, London District Postの3本建ての組織になる。 | ||
1685年 | ジェイムス2世即位。 | ||
1688年 | 名誉革命。(−89年) | 1688年 | 名誉革命。 これ以降郵便事業からの収入は国家財政に組み入れられた。 |
1689年 | ウィリアム3世、メアリ2世即位。 | ||
1702年 | アン女王即位。最初の日刊紙The Daily Courant創刊。 | ||
1707年 | スコットランド併合。 | ||
1709年 | チャールズ・ポヴィ(Charles Povey)ロンドン市内に半ペニー郵便創設。ベルマン(書状収集人)を使ったサービス。政府の独占権に抵触し7ヶ月で廃業させられる。 | ||
1711年 | 新郵便法制定。スコットランドの郵便制度をロンドンの管理下に置くためと郵便料金の引き上げのため。 | ||
1712年 | 「印紙税法」制定。新聞やパンフレットなどの出版物に対して課税を定めた。(言論統制のためと思われる。)新聞などは郵便料金を払うことなく、郵便物として差し出すことが出来るようになった。(法律上は1825年まで制定されていない) | ||
1714年 | ジョージ1世即位。 | ||
1720年 | レーフ・アレン(Ralph Allen) クロス・ポスト(Cross Post幹線を結ぶ地方道路上を運ばれた郵便)の事業を請け負う。クロス・ポスト、郵便監察官制度の充実をはかり、郵便の信頼性を高める。 | ||
1727年 | ジョージ2世即位。 | ||
1755年 | フアルマス---ニューヨーク間に郵便船就航。 | ||
1756年 | 英仏7年戦争始まる。 | ||
1760年 | ジョージ3世即位。 | ||
1765年 | ワット、蒸気機関発明。 | 1765年 | ロンドン以外の都市にもぺニー郵便を組織することを許可した法律制定。(値上げ) |
1773年 | ダブリンにペニー郵便設立。(その後1777年?エディンバラ、1800年グラスゴー、1835年マンチェスター) | ||
1784年 | ジョン・パーマー(John Palmer)の発案による郵便馬車登場。(このころまでには多くの手紙が遅い官営郵便制度を離れ駅馬車によって運ばれていた)(値上げ) | ||
1784年 | 無料郵便の乱用防止のため、規制を強化。 | ||
1789年 | フランス革命。 | ||
1792年 | 郵便為替制度の導入(非公式)。 | ||
1793年 | 対フランス戦争開始。 | ||
1794年 | ペニー郵便サービスの向上を図る。Act "For regulating the Postage and Conveyance of Letters by the Carriage called the Penny Post"制定。(郵便配達員の増加。中央郵便局General Post Officeから10マイルまで区間を拡大。郵便の配達回数増加:市内一日6回:市外3回になる。) 市内から市外、市外から市内に対して余分に1ペニーを支払うことになった。(そのExtraな1ペニーは配達の時に支払う)以後2ペニーポスト(Two-Penny Post)と呼ばれるようになる。「マネーレター」書留郵便が始められた。(貴重品が同封された郵便に対して、受領書を取るなど注意を払った。) | ||
1795年 | SoldiersとSailorsはsingle-sheet letterを1ペニーで出せる優遇措置が制定。 | ||
1796年 | 値上げ。 | ||
1801年 | アイルランド併合。 | 1801年 | 値上げ。(Two-Penny Postの市内サービス区間を3マイルに縮小。なおかつTwo-Penny Postのすべての手紙が2ペニーになる。) |
1805年 | 値上げ。(Two-Penny Postの市外から市内、市内から市外が3ペンスに) | ||
1812年 | 治安維持法。英米戦争開始。 | 1812年 | 値上げ。Single Letterが最低4ペンス。最高1シリング5ペンスになる。(労働者階級の一日分) |
1815年 | ウォータールーの戦い。 | ||
1819年 | ピータールー事件。 | ||
1820年 | ジョージ4世即位。 | ||
1830年 | ウィリアム4世即位。 | ||
1832年 | 選挙法改正。 | ||
1834年 | 中央郵便局から12マイル以内はロンドン地区郵便(ペニー郵便)の取り扱い範囲になる。 | ||
1835年 | ロバート・ウォーラス(Robert Wallace) 郵便制度改革の必要を訴える。「郵政省に関する管理運営調査委員会」設置。 | ||
1837年 | ヴィクトリア女王即位。 | 1837年 | ローランド・ヒル(Rowland Hill)「郵便制度の改革 その重要性と実用性Post Office Reform, Its Importance and Practicability」を出版し改革(郵便料金の値下げ、全国均一料金、重量別料金制、郵便料金の前納制)を訴える。 |
1838年 | 鉄道が郵便を運ぶようになる。 | ||
1839年 | 8月郵便料金の前納制度を打ち出した「ペニー料金郵便法」成立。 | ||
1840年 | アヘン戦争。(−42年) | 1840年 | 1月全国版ペニー郵便(Uniform Penny Postage)はじまる。(無料郵便制度の廃止)(2倍の額を払うことにより受取人払いも認められていた。スタート初日の取り扱い数。112,000 そのうち前納は13,000〜14,000。)5月最初の切手ペニー・ブラック発行。 |
1851年 | 万国博覧会。 | ||
1853年 | 受取人払い制度の完全廃止。切手による支払いが義務づけられる。 | ||
1855年 | 新聞税廃止。(これ以降新聞を送るのに郵便料金がかかるようになった)ロンドン市内に郵便ポスト設置。 | ||
1858年 | 郵便馬車廃止。 |